宝石エッセイ入選作品 2020年4月末締切り分

★★★ 2020年4月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します。

この度もたくさんのご応募、誠にありがとうございました。
今回で8回目の募集となりました。いつも貴重なエピソードをたくさんご応募いただき、誠にありがとうございます。

全てのエピソードそれぞれに深く引き込まれつつ、心を動かされながら、関係者一同、興味深く拝読いたしました。
当然のことながら、お寄せいただくエピソードそれぞれに優劣などあるはずがなく、しかしその中で敢えて最優秀賞、優秀賞、入選を選ばせていただくことは本当に心苦しく、毎回悩むところでございます。

そうした中、この度も選出させていただきました作品をここに発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「“ただの夏休み”」は、読み終えた後にまるでこちらも自分自身の記憶として振り返ったかのように、胸に詰まるものがありました。お祖母様との楽しい時間のスタートを知らせる、スクリューのプラチナネックレス。その大切な記憶を宿したネックレスを何年かぶりに目にし、手に重さを感じ、そのネックレスを手にした時の子供のころと今の自分の掌の大きさの違いから時の流れを感じ・・・すべてがお祖母様との楽しい記憶と一緒に怒涛のように押し寄せたのだろうと思います。その瞬間だけ、ふっとその夏の空気が甦り、お祖母様の匂いや声、その時代の空気が一気に思い出されたのだろうと思います。お祖母様にとって、そのプラチナのネックレスはどんな謂れのものだったのか・・・読み終わった後も、そんな想像に心を漂わせることができる、とても心地の良いエピソードでした。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「イニシャルペンダント」は、今の時代ではなかなか実現しないもどかしさが逆に新鮮なエピソードでした。便利なツールがあるわけではなく、その分相手が何を考えているのか、相手にどう思われているのか、現代よりも多くの時間を“相手を想う時間”として使っていた良い時代・・・。まるでドラマのワンシーンのようにドキドキしながら読み進め、「その後、どうなったのかな?」と気になったところでご結婚30周年をお迎えになるという事実!もう、ときめかないでいられましょうか!今までも、そしてこれからも、相手をいたわりながら一日一日を大切に歩まれて行かれるご夫婦なのだろうなと、とても心が温かくなるエピソードでした。

今回は、上記の他に入選作品を8作品選ばせていただきました。
いつもと同様、ご応募いただいた作品全てがそれぞれに心を動かされるエピソードばかりで、この度も選出関係者一同、大いに悩みました。
ご応募いただいた作品を拝読しておりますと、不思議と宝石にご興味がある方もご興味が全くない方であっても、その宝石にまつわる「物語」を持っているのだと感じます。“高級品”だったり“贅沢品”としてのエピソードではなく、日常に溶け込んだ身近な「パートナー」としての存在感。相手に想いを伝える手段だったり、自分の決断を表すアイテムとしてだったり、もちろん、自分自身がハッピーになるためにだったり、ジュエリーや宝石が活躍している場は、特別な場所や空間ではないのだということを改めて強く実感いたしました。
この度も数多くのご応募、本当にありがとうございました。
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

      

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

“ただの夏休み”(さるり 様・千葉県・40歳・女性・主婦)

8年前に、祖母が天国へ旅立った。大正生まれで東京大空襲も潜り抜け、弱音を吐かず粘り強い、気配りができ、料理上手、交友関係も広い。でも、頑固者で見栄っ張り。曲がったことも大嫌い。自宅玄関の前に、犬のふんをさせた飼い主に激怒し、素手で犬のふんを持ち帰らせたエピソードは、我が家では祖母の武勇伝として語り継ぐことになっている。他にも、数々ある武勇伝、料理のコツなど思い出しては、子どもたちに話していた。8年も経てば、大体、出尽くしてしまったと思っていた。

先日、実家の母のところへ遊びに出かけていた娘が、「ばあちゃんからママに、ひいばあちゃんの形見わけだって。」と、巾着に入ったネックレス3本を丁寧に取り出し渡してくれた。手にとった瞬間、その中の1本に目が離せなくなった。プラチナのスクリューネックレス。「覚えてる!これ!覚えてるよ……。」すっかり忘れていた記憶が一気に蘇った。

遠い、遠い30年以上前のこと。夏休みには毎年、泊まりがけで祖父母宅へ遊びに行っていた。祖父は自分の趣味に忙しく、私の相手はしてくれない。祖母との遊びが唯一の楽しみだった。でも、祖母は、たまに友人に頼まれて競輪場の食堂の手伝いをしに、日中4~5時間、家を出ることがあった。真夏の日差しの下、自転車で帰宅。「暑い、暑い!」といいながら、ネックレスの留め金を外してくれと私に必ず頼んだ。額や小さな背中から大量の汗、日焼けしたうなじのある首元に、いつもこのネックレス。プチンと外した瞬間から、つまらなかった時間が急に動き出す。祖母の分厚い掌にジャラリと渡す。「あー。助かったありがとう。」必ず聞いたこの言葉。継いだ麦茶を美味しそうに飲み干す祖母の横顔。「さて、何して遊ぼうか?」……。

「ママ、泣いてるよ。」

勝手に大粒の涙が頬を伝っていた。泣き虫だった私に戻っていた。このネックレスと私だけが知る祖母との“ただの夏休み”。

優秀賞

イニシャルペンダント(あきら 様・埼玉県・58歳・男性・会社員)

もう彼此30年前の話だ。得意先のひとりの女性に恋をした。今のように携帯電話がない時代。当時はメモ用紙に電話番号を書いて渡すのが主流だった。しかしそんなことすら自分には憚られた。今で言う草食系というやつか。会ったって挨拶を交わすのが精一杯だった。だけど事もあろうにその春私は鹿児島への転勤が決まった。そして散々悩んだ末に気持ちを伝えることにした。一世一代の告白。私は意を決して銀座三越に立ち寄った。しかし指輪にしろ、イヤリングにしろ、何せ好みがわからない。そこで唯一分かっていた彼女の名前にちなんでイニシャルペンダントを贈ることにした。
しかしながら、である。転勤の二日前彼女にペンダントを渡すとなぜか首をかしげる。
「えっ。気に入りませんでしたか?」
「いえ。そうじゃなくて…」
そう言って申し訳なさそうに「このイニシャル、どうしてYなんですか」と聞いた。私は目がテンになった。そう。彼女の名、幸子。これは「ゆきこ」ではなく「さちこ」と読むのであった。実は私の母親が幸恵(ゆきえ)であることから、私は完全に読み方を勘違いしていたのだ。その時の焦りと言ったら、いまでも思い出しただけで冷や汗が出る。
だけど彼女は必死でフォローした。
「でもありがとうございます。私、加山雄三さんが好きなんで雄三のYってことで…」
私はその笑顔に救われた。
今でも加山雄三の『お嫁においで』を聞くと、あの恥ずかしい思い出がよみがえる。彼女だって周りから「なんでYなの?」と聞かれ、その度に「雄三のYだ」と答えていたかと思うと胸が痛む。
そんな私のもとにお嫁に来た「さちこ」さんとはもうすぐ真珠婚式。今度こそ『S』のイニシャルペンダントを贈ろうとこっそり思っている。サチコ。スキ。シアワセ。そんな意味をパールの「S」に込めて。      

入選

トルコ石の「味」(のりたま 様・東京都・48歳・女性・フリーランス・自営業)

いつかトルコに行ったらトルコ石の指輪を買おうと決めていた。

トルコ石を知ったのは子供の頃読んだ「若草物語」である。末っ子のエイミーが伯母の家で家事修行に励み、ご褒美に空色のトルコ石の指輪をもらう。トルコ石、という異国情緒のある、ちょっと古めかしい言葉に私は惹かれた。

時は流れ、イスタンブールのグランドバザール。私と友人は小さな宝石店を訪れた。指輪ケースの中を覗き込む。トルコ石と一口で言っても、水色や緑色がかったものと様々で、模様も1つずつ違う。私がイメージしていたのは濃い青で、少し模様が入った大きめの石。見ていくとピンときたのがあった。ぱっと目を引く青で、銀やグレーの模様が程よく入り、コロンとして艶やかだ。

更に見ていくともう1つ気になるものがあった。台座の脇に細かい透かし模様が彫ってある。「この台座が気に入ったけど、石がね」と私が友人にもらすと、察した店主が「石は取り換えられますよ、好きなものを選んで」と言う。さっきピンときた石を示して「これにできる?」と聞くと、「職人を呼んで1時間ほどかかるけど出来ます」と。私はお願いすることにした。

夜、ホテルの部屋でじっくり指輪をながめた。その時、気がついた。石と台座の間に少し隙間がある。石を取り換えたのでぴったりには出来なかったのだろう。何だか気になる。直しに出したかったが、翌日は日本に帰る日で無理だった。

帰国してリフォーム店に相談に行くとこう言われた。「直すことはできますが、石を無理に外すと傷つけてしまう。トルコの旅の味として、そのままにしては?」と。

私ははっとした。そうだ、完全でなくてもいい。遠く旅をしてきたこの指輪だけが持つ「味」だと思えばいいのだ。そう思ってつけていると友人達もほめてくれて、隙間のことは気にならなくなった。さらに時が経ち、台座には新しい小さな傷もついた。けれど青い石の輝きはそのままである。

 

入選

ピアスの彩り(つばめ 様・神奈川県・44歳・女性・医療職)

「制服はアレンジしたりせずサイズの合ったものを着用すること」「髪は肩に付いたら結ぶこと」…昭和の時代の校則みたいでしょう。ネイルも指輪も許されません。腕時計すら禁止。ところが、ピアスだけはOKなんです。
これ、実は私の勤める職場のルールです。医療的ケアを必要とする方が大勢おられるので、衛生面に大変気を使います。髪や服がヒラヒラしてその辺に触っては良くありません。手洗いは徹底して指導され、洗い残し防止のために腕時計は禁止、結婚指輪も含めて指輪はできませんし、もちろんネイルなんてもってのほかという訳です。
ところがそんな中、ピアスだけは、揺れるもの、大振りなものでなければ許されています。このルールは、「服も髪型もおしゃれできず、常にマスクでメイクも楽しめず、指輪もネックレスも腕時計も身につけることができないのだから、ピアスくらい許してほしい。そうでなければやっていられない!」と強く主張した先輩がいたために実現したと聞いて、私はもう退職されたというその人に拍手を贈りたい気持ちになりました。
ちょっとしたミスが命にもかかわる職場。常に気を張っていること、プロフェッショナルとしての振る舞いが求められます。でも私たちだって人間です。ピアスをつける、ピアスを選ぶという楽しみを持つことは許して欲しい。そんな心の余裕は、ひいては、人と人としての関わりであるケアの質を高めるのではないか、といったら言い過ぎでしょうか。
ルビー、サファイア、エメラルド。ターコイズ、アメジストにガーネット。そしてもちろんダイヤモンド!ジュエリーボックスから、その日の気分や通勤時の服装に合わせて、はたまた朝の占いのラッキーカラーにあやかって、私は毎日ピアスを選びます。今朝は小さな淡水パールと珊瑚の組み合わせに決めました。さあ、今日も一日頑張るぞ!

入選

成長期における宝石の役割とは(yansan 様・静岡県・57歳・男性・会社員)

私には3人の子供がいる。男の子が続いて3人目に姫が現れた。夫婦の喜びはひとしおで蝶よ花よと育てたつもりがこれがとてつもない男勝りで2人の兄も手を焼く始末。
そんな彼女と夏祭りの夜店に出かけたことがある。小学校3年の時だ。
私はそれまで聞いたことがない言葉に耳を疑った。指輪が欲しいという。
お面だ輪投げだねだられると思っていた私は意表を突かれたが言われるままにおもちゃの指場を買い与えた。

年月は経過しその長女は何も変えることなくすくすく成長していった。
夏祭りから6年が経過した暮れ、大掃除最中に風呂場の排水溝から何やら固まりを発見した。
おもちゃの指輪である。買ったときと同じく安価なプラスティック素材で多数の傷でほとんどゴミ同然の状態である。
このまま捨てようかと思ったが一応彼女の所有物でもあるので声をかけた。
自分の部屋で掃除をしていた彼女は私の呼びかけに面倒くさそうにおりてきた。その時のテーブル上の指輪を見た彼女の表情が今でも私の脳裏によみがえる。
それを手に取った彼女は”え!どうして?なんでここにあるの!”と言って絶句した。聞けば大事にしていていつも肌身離さず持ち歩いていたこと。失くしたことがショックで家族の誰にも言えなかったこと。彼女の目に大粒の涙が浮かんでいたことは初めて見る彼女の1面だった。
彼女にとって幼少時の宝石がその名の通り宝物だったことをあらためて実感した。
捨てなくて良かった。
彼女は社会人になり人並みに恋をし、いま婚約の運びにいる。愛する男性からは光り輝く婚約指輪をいただき人生最高のひと時を過ごしている。
ダイヤの指輪とプラスティックの指輪。まったく異なった宝石を生涯大事にしてほしいと切に願っている。

入選

あの日のペンダント(佐藤 奈々子 様・神奈川県・44歳・女性・主婦)

私の夫はとてもだらしがない。洗濯物を干せばしわしわ。すぐに散らかすし、声も大きい。洗濯後に脱いだ靴下がソファの下から見つかることもしばしば。結婚して1年、私は、仕事をしながら永遠に続く家事にイライラする日々だった。

ある夜、他県で暮らす義母より、ご飯でもどうかとお誘い頂き、義母と夫と3人で外食をした。おいしい中華を楽しみ、デザートを食べ終える頃、義母がふいに小さなアクセサリー用の巾着袋を見せてくれた。
「これ、よかったらと思って。」

巾着の中から私の掌にこぼれ落ちたのは、キラキラ光る小さなルビーのペンダントだった。若い頃に購入して気に入っていたものだという。持っていた宝石は処分したものも多いが、これは手離しがたかったそうだ。

他県に住む義母に会うのは数ヶ月に1度。たまに電話で話すことはあっても、私はまだ遠慮してしまい、本音で話せていなかった。
「似合うんじゃないかなと思って、どう?」

という義母の言葉を聞きながら、掌のペンダントを見る。4つの小さなルビーが集まった形は、花弁のようでとても可愛らしい。大切に保管されていたのだろう。まるで新品のように輝いている。
「いいんですか?いただいても?」

と聞くと、ぜひ、と義母は微笑んだ。私はありがたく頂くことにした。胸のあたりがふっと暖かくなったのを感じた。とても、とても嬉しかった。そのペンダントを、私は翌日からつけるようになった。

夫は、相変わらずだらしがない。でもおおらかで明るいし、優しい。そう、いいところも沢山あるのだ。義母が、ルビーのペンダントを扱うように、優しく大切に育ててくれたからなのだろう。それが見えないほど、私に余裕がなかっただけなのだ。ペンダントをつけると、不思議とそう思えるようになった。私は、これからもこの人と、たまに喧嘩をしながら生きていくのだ。あの夜を境に、本音で夫の愚痴を義母にこぼしながら。

入選

アンティークに宿る祈り(槙野 世理沙 様・大阪府・32歳・女性・会社員)

ひやかし半分に入ったアンティーク店で、こんなものに出会うとは。だから神戸という街は困る。

店内の鏡を覗き込む。眉毛以外ほぼすっぴんの私が着けているネックレスは、分不相応に煌びやかだ。にも関わらず、鎖骨の上にひたりと張り付くネックレスは、デザインといい、サイズといい、間違いなく私によく似合っていた。恐ろしく細かいミル打ちが、透かしの土台の縁をびっちりと囲み、細かな石が4~50個ほどもついていた。

値札には「1910年代 ドイツ シルバーマーカサイト」とある。世界史は得意科目だった。ドイツは1914年から続く世界大戦に敗北し、市民生活が劣悪を極めていた。さらにはスペイン風邪という感染症がヨーロッパのみならず世界中で大流行し、数千万人が亡くなった混乱の時代だ。
「鉄鉱石と言ってしまうと色気がありませんが、マーカサイトはダイヤの代替品でもありました。黒い石ですので、喪服に合わせることもあったんです」

店員の言葉が、私の想像を掻き立てる。戦争か感染症かで夫を亡くし、晩年まで喪服で過ごした女性が身に着けていたネックレス。あるいは、生活費の為に手放されたのか。

量産品とは違う、長さの調節できないこのネックレスが私の首にぴったりと合うのだから、持ち主と私はよく似た体格であるはずだ。彼女が、苦難に遭った人なのか、スペイン風邪という病に打ち勝ったのかは知りようもないけれど、私とよく似た体つきの女性が100年ほど前に愛する人を失い、どのような思いで余生を過ごしたのか、想像は膨らむばかりだった。

がらがらの電車の窓に映る、目元以外すっぴんの私が着けているネックレスは、顔半分を覆う白いマスクと不釣り合いに煌びやかだ。インフラ系で働く私は、感染症の非常事態宣言下でも職場へ向かう。どうか、大切な人が無事であるように、100年前と同じ辛い思いをする人が少なく済むように。彼女と共に私は祈る。

 

入選

定年の日の思い出(丹羽 治 様・愛知県・63歳・男性・公務員)

サラリーマン生活最後の日に仕事を終えて帰宅する途中、ショウウィンドウのネックレスが眼にとまった。間接照明を浴びて光るそれは細いシルバーのチェーンの先に赤色の小さな宝石のついた美しい物だった。タグにはガーネットと印字されていた。そういえば以前、妻が「私の誕生石はガーネットだよ」と言っていたのをふと思い出した。

彼女はいつも自分のことより家族のことを優先する。振り返れば子育てや家事でずいぶんと頼ってしまった。つきなみだが結婚生活は楽しいことばかりではなかった。苦しいことや悲しいこともあったが何とか二人で乗り越えてきた。そんな三十年間の思い出が走馬灯のように心に蘇った。僕が無事に定年を迎えれたのも彼女のおかげなのかもしれない。ガーネットを眺めながらそう思った。

その日の晩は家族で「定年慰労会」を自宅ですることになっていた。残業で少し遅れると連絡を入れたきた娘を待つあいだ、料理を前にして久しぶりに二人で向かい合って飲んだ。想い出話やこれからの事などいろんな話した。ふだん妻に感謝の言葉など口にだし言ったことがなかったが、その時は何故か自然に言葉が出た。「ありがとう、これからもよろしく」そう一言いって、さっき買ったガーネットのネックレスを差し出した。驚いた顔をして「えっ‥なに‥」といった彼女の眼は少し潤んでいた。

しばらくして帰ってきた娘が怪訝そうな顔をして妻に「お母さん泣いたの」と訊いた。キッチンで料理を温めなおしながら優しい声で「泣いてないよ」妻はそう言って僕の方を見て微笑んだ。

忘れがちになる大切な人への感謝を思い出させてくれた。ガーネットに感謝している。

 

入選

過去からのプレゼント(ムーミンママ 様・埼玉県・51歳・女性・主婦)

若い頃よく痩せていると言われたが、今では立派に太ったどこにでもいるおばちゃんである。これでも人並みにアクセサリーが好きで天然石のチープなものを集めたり地金ものや誕生石のネックレスを買ったりして楽しんでいる。

しかし指輪にはなじみがなく、働いていた職場で禁止されていたから結婚指輪さえピカピカのまま、既に薬指にははまらなくなっていた。指輪は好きで安いシルバーのシンプルなものを若い頃つけたりしたが、もう、年が年である。宝石の輝きを借りてみたいなんて考えてみたりしていた。ある時、何気なくタンス内の宝物を探っていたら、水色の小さなジュエリーケースを見つけ、開けてみるとそこには可愛らしいルビーが18金のリングの上にちょこんと乗って鎮座していた。

結婚前に主人から贈られた初めてのアクセサリーである。ルビーの指輪とはベタでいかにも主人らしい。あれは、寺尾聰さんの歌ではなかったか、「そうね誕生石ならルビーなの」という歌詞だった。歌の主人公の誕生石がルビーだったからルビーの指輪。残念ながら私の誕生石ではない。ずっとしまい込んだままになっていたのは、当時かなりサイズが大きめでしているうちになくしてしまいそうだったからだということも思い出した。

この指輪をもらった当時は嬉しくて嬉しくてサイズを直せると言った主人の言葉を遮り、そのままでいいと毎日眺めていたのだけれど。結婚して、そのままタンスの奥にしまい込んだままになってしまっていたのである。すっと薬指にはめてみると、それはシンデレラのガラスの靴のように私の指にフィットした。私のための指輪であった。ルビーは私がぷくぷくに肥えたおばちゃんになるまで30年待っててくれていたのだ。指も太るなんて若いときには知らなかった。サイズを変えないままにしておいてよかった。主人がくれたルビーの指輪は時空を超えて今の私のありのままを受け止めてくれる存在なのである。

 

入選

迷える風信子石(峯田 泰彦 様・東京都・67歳・男性・無職)

梅薫る2月の或る日、妻が小さな鉢植えの花を買って来た。見ると球根から伸びた茎に青紫色の花が咲いていた。「これは何という花?」と私が問うと、妻は「ヒヤシンス」と答えた。その鉢は居間の一番陽当たりの良い場所に置かれた。

やがて花弁は増え、濃厚な香りが部屋中に漂い始めた。

私は何気なく『ヒヤシンス』で俳句を詠んでみようと思い立ち、辞書を引いた。
すると、和名が『風信子』と分かった。何と2文字は妻の名ではないか。しかも『風信子石、ジルコン』と称し宝石の名でも有るのだ。この花の出会いは運命だろうか。

数日後、私は近傍の宝石店を訪れた。店の女性に『ジルコン』の事を尋ねると、
「此処には置いて居ませんが、宜しければ画面で御覧になりますか」と言い、親切にタブレットの画面を見せてくれた。
『ブルージルコン』の天然石である。忽ち私はその青い輝きに魅了された。

恰も風信子の花弁が零れ落ち、宝石に化身した様な気高さと気品であった。

石言葉は『安らぎ。夢想。私だけを見つめて』と恥じらう程の美辞の羅列である。

ところで、4月は妻の誕生月(67歳)で、加えて結婚43年目の月でもある。女性は幾つになっても花を贈ると喜ぶが、宝石ならさぞや嬉しいに違い無い。近頃では滅法会話の乏しい妻であるが、贈ればよもや「何これ」とは言うまい。少なくとも「まあ」位は多分、言う筈だ。しかし結構な値段である。糟糠の妻にこの『風信子石』を贈るべきか、止めるべきか。只今私は絶賛ハムレットの心境である。

さてどうしたものか。