宝石エッセイ入選作品 2018年6月末締切り分

★★★ 2018年6月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します

このたびはたいへん数多くのご応募どうもありがとうございました。
「宝石をテーマとしたエッセイ募集」の入選作品を発表させていただきます。

なお募集時点では賞の内容を下記左のように記載しておりましたが、このたび下記の右のように各賞の名称を変更し、金額も一部増額いたしました。

  • 金賞(1名)3万円 →最優秀賞(1名)3万円
  • 銀賞(1名)1万円 →優秀賞(1名)1万円
  • 佳作(3名)JCBギフトカード3千円分 →入選(今回は11名)JCBギフトカード5千円分

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載いたしますのでよろしくお願い申し上げます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

◆総評

この度はたくさんのご応募、誠にありがとうございました。

寄稿していただいた作品一つ一つそれぞれに、宝石やジュエリーに対する様々な想いが丁寧に書き綴られており、時に心がギュッと切なくなったり、ほんわか幸せな気分になったり、またある時には宝石やジュエリーそのもののあり方について考えさせられるものでした。

その中から最優秀賞、優秀賞、入選の作品を選ばせていただくというのは本当に難しく、関係者一同、とても悩みました。

最優秀賞に選ばせていただいた「誕生石」のエピソードは、綴られる言葉はシンプルでありつつも、お二人の「愛」をとても強く感じられる作品でした。

「喜んでもらえるジュエリーをプレゼントしたい」と強い気持ちと、普段からいかに彼女様の気持ちに寄り添って時間を過ごされているかが伝わってきました。

その愛が、「エメラルドのネックレス」という一つのジュエリーに形を変えて彼女様の元に届いたこと、そのときのお二人の幸せな笑顔が、目に浮かぶようでございました。

優秀賞に選ばせていただいた「母の宝箱。」のエピソードは、時代と環境に揉まれ、それでも耐え抜いたお母様をずっと陰で支えてきたであろう宝石箱の珊瑚たちに、「命」を感じました。

それが投稿者様に伝えられ、さらにゆくゆくは娘様たちに受け継がれていくという理想的な宝石(ジュエリー)のかたち・・・2人の娘様のお名前に「珊瑚(サンゴ)」由来の文字が使用されているという部分からも、まるで二人の娘様がお母様の珊瑚の化身であるかのように、三代に亘って強い“絆”を感じるエピソードでありました。

今回の募集は、当初は「金賞(1名)」「銀賞(1名)」「佳作(3名)」ということでしたが、金賞は「最優秀賞」に、銀賞は「優秀賞」に、佳作は「入選」に名前を改めさせていただきました。

更に「入選」は3名から、今回は11名にさせて頂きました。

これは先にも述べたとおり、寄稿いただいたエピソードの一つ一つがそれぞれに胸を打つものであったためです。

入選作品に選ばせていただいた11作品は、選出関係者が中でも特に心を揺さぶられたものを選びました。

気づかされたことは、一般的には「高級品」として自分とは無関係だと思われがちな「宝石との出会い」が、多くの方において子供の頃にお母様の宝石箱から、通りかかった店先などで早くに実現していることです。

人生において、自分を励ましてくれたり、時に支えてくれたり、大切な人に想いを伝えたり、重要な節目の記念に贈られることが多い「宝石(ジュエリー)」というものの存在を、ただの“物(モノ)”としてだけではなく、人の心が通った「代弁者」なのだと、気づかされるものでありました。

この度は数多くのご応募、誠にありがとうございました。

みなさまの大切な思い出をたくさんお寄せいただきましたこと、心から感謝いたします。

選出できなかった方たちのエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

また機会がございますときは、どうぞよろしくお願いいたします。

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

誕生石 (つちお 様・和歌山県・48歳・男性・フリーランス・自営業)

 ある年の春。彼女の誕生日が近づいてきた。指輪を贈ろうと思った。彼女はまだ誕生石を持っていないと聞いていたのでエメラルドに決めた。と言っても、ごく小さなものだ。
 ただ、一つだけ気にかかることがあった。最近彼女が少し太ってきたとこぼしていたのだ。指輪のサイズは知っている。しかしもし指まで太くなっていたら入らない事態になってしまう。サイズ直しはできるのだろうが、そうすると彼女に恥をかかせることにもなりかねない。かといって大き目の指輪と言うのも問題だ。誕生日なのに機嫌を損ねられでもしたらかなわない。
 そこで指輪はあきらめ、ペンダントを贈ることにした。もちろん石はエメラルド。これならサイズ感に余裕があるし、彼女もすんなりと喜んでくれるに違いない。
 誕生日当日、ディナーの席でプレゼントを渡した。小箱を開いた彼女は目を輝かせ、嬉しいと言ってくれた。
 私はおもむろに彼女の背後に回り、チェーンを首にかけてあげた。それから留め金具をつけたところで、彼女の口から「ウッ」と声が漏れた。
 どうしたのだと思い見ると、チェーンの長さが彼女の首回りとほぼ同じ。だから首が締まったようだ。これではペンダントと言うよりもチョーカーだ。
 ごめんと言って慌てて外した。まさかこれほど太っていたとは。毎日見ていたので気づかなかった。
 きっと気を悪くしたに違いないと項垂れる私に、彼女が言った。
「ありがと。でもアジャスター買わなきゃね」
 顔を上げると彼女は照れ笑いを浮かべていた。その笑顔を見て思った。これなら指輪が入らなくとも機嫌を損ねるようなことにはならなかったのかなと。
 今となっては、私たち夫婦のいい思い出だ。

優秀賞

母の宝箱。(鐘ヶ江 律 様・岐阜県・38歳・女性・フリーランス・自営業)

 私の娘は、名前を「瑚乃(この)」と言います。私の母の誕生石・珊「瑚」と、主人の母の名前・一「乃」から一字ずつ貰いました。両祖母からの加護を戴ける様にと願い、私の母が大切にしていた淡い紅色の珊瑚たちの様に可憐な女性に育って欲しいとの願いを込めたのです。

 私の母は、裕福な酒屋に生まれ育ちました。和服も洋服も全て母のために仕立てられたもの。誕生石の珊瑚は、指輪やネックレスは勿論、帯留め・ブローチ等、多種多様なものが、母の宝石箱を埋め尽くしていました。

 母は、米屋を営む父の元へ嫁ぎました。食糧法改正で傾く店の経営に、母は外へ働きに出ました。母は、自分のための服も何も一切を買わず、美容院にも行かず、姑に虐げられ続けても歯を食いしばり、私と弟を、1人立ちするまで育てあげてくれました。

 私が生まれ育った海辺の街から、遠く離れた山奥の田舎町へ嫁ぐ時、
「何にも持たせてやれんけど」
母がそう言い、私に手渡してくれた箱には、母が父からもらったダイヤの婚約指輪と、母が大切に大切にしまっていた珊瑚たちが詰まっていました。
「ここにあっても、もうお母さんは、こがんとば着けては出歩けん。あんたや、いつかあんたが産む子が、この珊瑚たちば、外に連れ出してやって。可哀想か」

 私は念願叶って、可愛い娘を2人産めました。瑚乃と、珈乃と言います。

 私は、瑚乃と珈乃の入卒式には必ず、母から譲り受けた珊瑚の帯留めを付けています。この先、貧する時が来ようとも、母から譲り受けた珊瑚たちだけは手放さず、娘たちに譲る日まで大切にしようと思っています。

入選

たったひとつの誕生石 (るる 様・神奈川県・21歳・女性・学生(大学/大学院/専門学校))

小学生の頃、観光地のお土産屋によく売っている誕生石がついたストラップにどうしようもなく惹かれていた。キラキラしたものに女心をくすぐられるのは摂理なのか、まだ到底手が届かない本物の宝石の代替品としてなのか、私はいつも親が土産を買う横で誕生石グッズを眺めていた。やがて12ヶ月の宝石の名前も覚えるほどになり小学生でも十分買える値段だったが、購入しなかったのは単純に、11月生まれの私の誕生石があまり気に入らなかったからである。

ダイヤモンドやパールみたいな宝石の代表格でもない、私の好きな青色紫色のアクアマリンやアメジストでもない、ルビーやサファイアのような色鮮やかな宝石でもない、蜜の結晶のような黄色のトパーズは失礼ながら外れくじを引いたときのような感覚をもち、他の誕生月の人を恨めしくすら思っていた。

私は小学校6年のとき、中学受験に受かり私立の中学に行くことになった。小学校の友達はみんな一緒のままで私だけが一人別の道に行くことはとても寂しい。もし新しい学校で友達が出来なかったら?小学校を卒業し、新しい制服が届いてもずっと不安は尽きなかった。

そんな中で、小学校卒業記念に旅行に行った。旅館の近くに天然石や硝子を取り扱う店があり、受験合格祝いに何かアクセサリーを買ってもらえることになった。何にしよう?目移りする中で、ふと誕生石を集めて並べられた一角に目が留まった。それぞれの宝石言葉が紹介されており、1月から順番に見ていく。情熱のガーネット、誠実のアメジスト…最後の方になって11月のトパーズがあり、私は思わず立ち止まった。宝石言葉は「友情」。

私はその日、トパーズのブレスレットを選んだ。真新しい中学の制服の下にお守りのようにそっと忍ばせていたブレスレットはその日から私の宝物となった。誕生石は誰にでも等しく与えられる平等な宝石であるが、そのときから、トパーズは私の大切な宝石となった。

入選

一粒の星(ビーバー 様・東京都・38歳・女性・主婦)

 三年間一日も欠かさず身に着けていた結婚指輪を、私はそっとはずした。妊娠中はむくみやすいから控えたほうがいいと、小耳に挟んだからだ。

 だが、大切に保管していたはずなのに、行方がわからなくなってしまった。

 頭はまっ白。ひとまず友人の結婚式につけていくことはあきらめて、主人には内緒にしたまま、必死に探したのだが、どこにも見当たらない。

 心に棘が刺さったような思いを抱えて迎えた臨月。出産予定日を過ぎても、お産の兆候がまったくない。

 私は神頼みとばかりに、密かに宝箱と呼んでいる秘密の小箱から、安産のお守りを取り出した。

 そのとき、コロンと、軽やかな音が響いた。床に落下したのは、なんと、ずっと探し続けていた結婚指輪だった。お守りの白い袋の中に入れておいたことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。

 待ちに待った陣痛の波が押し寄せてきたのは、その晩のこと。苦しい痛みを乗り越えたあと、私は銀色の指輪がきらりと光る手で、しっかり我が子を抱きしめた。

 瞳を閉じればまぶたに浮かぶ、赤く燃えるエアーズロック。満天の星空の下、肩を寄せ合い、二人そろってうっとり溜息を漏らした甘いハネムーン。

「いつか子どもを授かって、幸せな家庭を築いていけますように」

 夜空を幾筋となく駆け抜ける流れ星に、真剣に願いことを唱えたっけ。

 指輪の内側に光る一粒の青いダイヤモンドは、あのとき見上げた星のよう。

 無事願いごとがかなった今、煌めく星の瞬きを胸に、前を向いて歩いていこう。授かった尊い命を大切に育みながら、笑顔の絶えない愉快な家族になろう。

入選

エール(松田 良弘 様・大阪府・42歳・男性・会社員)

 二十歳の時、私は父の大反対の中、夢を追う為に学校を辞め、家を出る事にした。

 出発の朝、玄関を出ると母が立っていた。「精一杯やってもダメな時は、これを何かの足しにしなさい。」母はそう言って、小さな箱を手渡してくれた。私は箱を開けた。「これ、母さんの宝物じゃないか!」

 それは、母の誕生日に父がプレゼントした、母の誕生石で作ったルビーのネックレスだった。このネックレスを着け、当時流行っていた「ルビーの指輪」を、母が嬉しそうに歌っていたのを、私はよく覚えている。父も、「悲しい歌だし、それに指輪じゃないよ。」と言いながらも、楽しそうに一緒に口ずさんでいた。

「こんな大事なもの、受け取れないよ。」私が返そうとすると、「良いの。思い出は、ここにあるから。」母はそう言って、自分の胸を叩いた。「これはお守りにする。必ず返すから。」「その時は、もっと大きなルビーをちょうだい。」

 旅立つ私を、母は笑顔で見送ってくれた。

 数年後、私はネックレスを握り締めながら、何とか頑張れていた。そして、あの日以来の実家に帰った。母にネックレスを返す為に。

「あの日、これを渡せって言ったの、実はお父さんなの。あなたの本気を試そうと思ったの。どんな事があっても、これを私に返しに来るかどうかって。その時は心から応援してやろうと。まぁ、頑張れっていう、お父さんなりの無言のエールだったのよ。」

 母の話を聞いて、私は隣の部屋にいる父を見た。父は照れ臭そうにしていたが、「まだ夢の途中だろう。いつかもっと大きなルビーの、今度は指輪をお母さんにプレゼントしろ。それまでそれは大事に持っておけ。」

 その日の夜、台所からは母の「ルビーの指輪」が聞こえていた。

入選

母の宝物(きなこ 様・北海道・47歳・女性・契約社員)

母の宝物を知っている
小さく、でも上品なダイヤが散りばめられた指輪だ。

今も農作業に汗を流しながら、孫の成長を喜び、食事を作り、周りの友達と楽しく笑いおしゃべりをし、花に水をやり日々を過ごす母。
ファッション雑誌を見て、テレビで女優さんを見て、「きれいだねぇ、あんなかっこしてみたいねぇ、でもお母さん農家だから、あんなカッコしたらおかしいよねぇ?」
と昔からの母の問わず語りをなんとなくいつも聞き流していた。

私が小学生のころ、小さな農村に宝石を売りに来た人がいた。 田舎だったから、昔はメガネを売りに来たり、時計の修理屋さんがきたり、その都度町の人はそこに顔をだして品物を買ったり、直したりしてもらった。

宝石屋さんなんて、初めて。
子どもの私も興味津々。 丁寧に指輪やイヤリング、ペンダントを並べて業者さんは説明をしてくれる。
まだ豊かな時代だったのか、美しい宝石がポンポンと売れていく。

母はそっと、ダイヤモンドが散りばめられた指輪を見ていた。説明をよく聞いていた。
そして、今でも忘れない、自分の手をそっと見て、そしてすぐサッと隠した、
農作業でゴツゴツした指には合わないと思ったのだろう、子どもごころにもわかった。
それでも、勧められてそっと指にそのダイヤの指輪をつけてみる、なんとも言えない母の胸いっぱいの顔。
父は「いんでないか?」と言った。 「いいの?」と母はびっくり。
何かの記念でもなく、父もそういうことに無頓着だったけど、なぜかその時父はいいといってくれた。

上品に輝くダイヤモンドの指輪。母がそれをするのはとっておきのときだけ
大切にしまってあるのだろう。
父との思い出がつまっているのかもしれない
2年前突然父は旅立ったから、本当に宝物になった。
永遠の輝きと思い出の詰まった宝物に

入選

輝く日々に(山本りな 様・静岡県・30歳・女性・公務員)

 ダイヤモンドと黒鉛とフラーレンは炭素の同素体。化学の授業で呪文のように覚えた高校生の私。ふーん、屈折率が高いから、あんなにきらきらしているんだ。しかもすごく硬い鉱物らしい。無知な私にとって宝石とはダイヤモンドのことで、宝石はただの「鉱物」という認識であった。

 そんな私も大人になり、プロポーズはなかったが、ある人と結婚することになった。結婚式場探しをした帰り道。優柔不断な彼にいらいらし、車内の雰囲気は重かった。さらに海に寄って行こうと謎の提案をする彼にやきもきしていた。車から降りて、やわらかな砂浜を歩いていると、彼が背中をつついた。振り返ると、突然小ぶりな箱を渡された。開けてみるとネックレス。彼が私の首につけようとするがなかなか付けられず、思わず吹き出してしまった。「できた!」と満面の笑みを浮かべた彼。ふと目を首元に落とすと、ダイヤモンドがきらきらと輝いていた。

 「結婚してください。」

 ようやく状況が理解できた。嬉しくて嬉しくて涙がこぼれてきた。この時を、この輝きを、この気持ちを決して忘れないと強く思った。不器用な彼が、私のために、行き慣れない宝石店で、女性店員さんと一生懸命選ぶ。そんな姿が鮮明に思い浮かんだ。この輝きはここにつまった思いによるものだと感じた。屈折率なんかじゃない、宝石一粒一粒にはその持ち主の宝のような思い出が一つ一つ輝いている。

 光るダイヤモンドをつけるたびに、この時を思い出す。隣にいるのが当たり前になった彼を見て、幸せいっぱいの気持ちになる。ただの「鉱物」ではない、私だけの「宝石」なのだ。

 旦那になった彼は化学の先生。彼は授業でダイヤモンドをなんて説明するのだろう。学生になって聞いてみたい。

入選

5桁のトパーズからダイヤの半世紀 (安馬卓夫 様・東京都・73歳・男性・無職)

 私が初めて宝石を買ったのは、半世紀も前のことだ。妻と結婚の約束を交わしたときである。宝石のホの字も知らない私は、職場の女子社員に誕生石を贈るといいと教えられ、11月生まれの妻の誕生石はトパーズだと知った。

 私でも名前くらいは知っているルビーやエメラルドが並ぶショーウインドーのそばを通るとき、妻の目が輝いた。とりわけダイヤには息を呑むようにしてジッと見入っていた。買いたい気持ちは山々だが、入社してまだ2年目。ペイペイの私には、給料の1か月分前借りしたとしても、到底手が届かない。辛うじて5桁の値のトーズに嬉しそうな妻を見ると、何だか可哀想な気もしたが、「そのうち必ずダイヤをプレゼントするから」と言い、その場を取り繕った。それくらいだから結婚指輪も神前式だからと、意味不明な言い訳をして買わずにすませた。本音を言うと、“よくぞ安上がりの11月に生まれてくれた”だった。

 以来、私は宝石とは無縁だった。妻もまた子供が生まれると、いつか指輪を外してどこかに仕舞い込んだ。家庭に収まった彼女が買う装身具と言えば、せいぜいスーパーのワゴンに盛られた指輪やネックレスのセール品くらいだった。育児と家事に追われ、宝石どころではなかったのだ。

 そんな私たちも半年後には金婚式を迎える。半ば冗談で「金婚には記念にお揃いの金のブレスレットでも」と持ちかけてみた。すると、妻は間髪入れずに言った。

 「あのときの約束、どうしちゃったの?」

 一瞬、何のことかピンとこなかったが、「ホラ、婚約指輪買ったとき」と二の矢がきた。記憶が半世紀ぶりに蘇った。「君も執念深いな」と揶揄うと、娘に遺す日も来るからと、泣かせることを言う。5桁のトパーズから半世紀。金婚式のその日、贈ろうと思っている。

入選

永遠の想い出となった真珠の指輪(あみこママ 様・神奈川県・48歳・女性・保育士)

キラキラ光る宝石を身に付けると気持ちも明るくキラキラしてくる。私は若い頃、ボーナスの度にアクセサリーを購入していた。
宝石は好きな人は好きだが全くといっていい程、身に付けない女性もいる。義母もその一人だ。その義母が義父が他界し、お通夜の際に真珠の指輪をしていた。「これ、おとうさんに買って貰ったのよ。」と差し出した薬指には慣れない指に真珠がちょこんと乗っていると言う感じだった。

お通夜が終わり帰宅する前にトイレに入った時に義母が言った。「指輪がない!」慌てて皆がトイレやもと来た道を辿り指輪を探した。しかし指輪はみつからなかった。翌日は告別式。式はうちの家族だけではなく何組かある。式場の方にも指輪を無くした旨を伝えたが、半ば諦めていた。

告別式で、棺の中の義父の顔を見てお別れを言うために車椅子の義母が一瞬立ち上がった。義妹と私は声をあげた。「あ、あった!」義父の頭の下の床に指輪が光っていた。義母は言った。「おとうさんがみつけてくれたのだわ。おかあさんはそそっかしいからなって言ってるに違いないわね。」と笑った。「そうだね。」と皆が言った。きっと車椅子のどこかに挟まっていたのだろう。指輪がみつかり周りにほっとした空気がながれた。と同時に義母にとってこの真珠の指輪は今までにも増して義父との大切な、形ある想い出となったに違いないと思った。

キラキラ光るルビーやダイヤモンドは私は今でも好きだし、デザインが気になったりするけれど、義母の真珠の指輪のような存在の宝石というものは、その人にとって永遠のかけがえのない輝く宝石となるのかもしれないと温かい気持ちになった。

入選

エメラルドのピンキーリング (滝川 由佳 様・岐阜県・24歳・女性・会社員)

 物心つく頃には、もうすでに宝石に対して良いイメージを抱いていなかった気がする。

 「ただの石なのに、キラキラしてるからって偉そうに」そう思っていた。

 高飛車なお金持ちだけが持っているものだと思っていたからかもしれない。なんてひねくれた子どもだったのだろう。
 結局、一度も宝石に興味が湧かないまま大学生になったのだが、ある時読んでいた小説に多くの宝石が出てきた。

今まで知ろうともしなかった、誕生石や石言葉の存在。キラキラの偉そうな石は、実は思ったよりも身近な存在なのでは…。

 そして突然、思い出した。母も宝石を持っている。十二月生まれの母が箪笥にしまっていた、トルコ石のネックレス。

 約十五年もの間、ずっと間違っていた。宝石は、お金持ちの財力を象徴するだけのものではない。人はそれぞれ、いろいろな意味を込めて宝石を身につける。自分を表現するために、何か大切な記念のために。

 私も一つだけ、宝石を身につけよう。せっかくなら、母と同じように、誕生石のアクセサリーにしよう。我ながらいい加減な人間だと思うけれど、あの瞬間、あれほど長く抱いていたイメージが嘘のように崩れ去り、憧れに変わったのだ。

 今、私の左小指には、緑色の宝石がある。当時学生だった私が買えたのは、小さな小さな、とても小さなエメラルド。それでも今なお輝いていて、その存在は年々大きくなっていると思う。疲れたり辛くなったりした時、エメラルドの緑色を見ると少し安心できる気がするのだ。

 これから宝石をたくさん買おう、と思うようになったわけではない。ただ、純粋に宝石をきれいだな、素敵だなと思うようになった。そのことがとても嬉しいし、だから明日もエメラルドを身につけて出かけようと思う。

入選

ながれながれて(ひなこ 様・島根県・37歳・女性・主婦)

 バックパッカーは楽しい。最低限の荷物を背負い、身を飾るものも持たず、魂が欲するまま旅をする。

 アンコールワットで朝日を見て、ナポリでナポリピザのランチを食べ、香港で百万ドルの夜景を見る。毎日が宝物のように輝いていた。

 出会いもそう。日本にいては絶対知りあえなかったような職業の人や、地元からはるかに離れた人と友達になる。その街には訪れらことがないけれど、その地にはすでに友達がいる不思議。雑誌でみるような仕事をしている知り合いができる面白さ。お金では買えない財産だった。

 旅人同士で結婚した人も知っている。リュックひとつ背負って旅に、それも世界一周なんてしようとしている人たちの価値観は、どことなく似ている。だれもが奇妙奇天烈な縁を喜ぶ土壌があった。

 私は、なぜか、そういう縁に全く恵まれなかった。出会う人出会う人に、もしも、と期待をしていたが、ことごとく裏切られ、旅も終えた。
そして、人よりかなり遅れて、そのころ全く知らなかった人にたどりつき、結婚した。 

 夫となる人が指輪をくれた。アクセサリーを身に着ける習慣のなかった私にとっては、それは、初めてのものだった。

 お母さんが、おばあちゃんからもらったもので、そのおばあちゃんも、おじいちゃんからもらったものだった。とうに亡くなっているおじいちゃんは、見栄っ張りな人だったという。当時としては、かなり質の良い、高価なものをもとめて、いろいろなお店をめぐったという。そうして、遠い国で産出され、これまた別の遠い国で磨かれたものを手に入れ、それが、流れ流れて、私の指先で光っている。

「旅をしてきたんだね」
というと、
「おまえもな」
と、それは言う。

 わたしの旅はすでに終えた。しかし、この指輪の旅は、私が死んだ後も続くだろう。私のおなかの中にいるこの子が、その架け橋となる誰かをつれてくるその時を楽しみにしよう。

入選

イエロー・イエロー(タカジュ 様・栃木県・26歳・女性・公務員)

子供のころ、誕生石を調べてがっかりした思い出がある。

きっと何かの本に載っていたんだろう。宝石への興味は特別あったわけではないけれど、子供ながらにあのキラキラとした輝きに魅かれるものがあってそれを読んだのだ。

色とりどりに輝く宝石の写真の中で、11月生まれの私の宝石はトパーズだった。エメラルド、ルビー、パール。名前のよく知る美しい宝石の一方で私はトパーズの存在をその時初めて知った。色は茶色がかった黄色で、恐竜図鑑か何かで見た琥珀を思い出すようなその宝石は他と比べて私の眼には地味に映った。トパーズにもいろいろな色があると知ったのは最近のことで、当時の私はその琥珀色がトパーズなのだと思った。

赤、青、緑と輝く宝石たちの中に埋もれるぼやけた色。それが冴えない私のようで好きになれなかったのかもしれない。どこかのアクセサリー店で本物のトパーズを見る機会があったけれどやっぱり写真の通り暗い黄色で、私は誕生石にコンプレックスのようなものさえ抱いて、だから誕生石のアクセサリーを一度も買ったことがなかった。

月日は流れ先日思い立って旅行に出かけた。たった一人の自由気ままな旅で、朝の5時からホテルを飛び出し自然の多く残る神社へと足を延ばした。

季節は夏でもう太陽がまぶしかった。人気のない小道を歩きながら、ふと前を見る。太陽の光を吸い込んで輝く地面は非現実的で、けれどどこか懐かしさを感じていた。そして思い出した、私が初めて見たトパーズもこんな色をしていたのだ。
記憶の中のトパーズと目の前の地面が重なる。そうだ、トパーズは太陽と大地の色なのだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。そして世界はいかにトパーズの色で溢れていることか。

言い知れぬ高揚感とともに荘厳な神社を背にしながら、家に帰ったらネックレスを買おうと思った。この大地によく似たトパーズを。

入選

宝石を通しての家族の絆 (すみちゃん 様・大阪府・66歳・女性・主婦)

私には宝石を通して、とても大切な思い出が一つある。私は、今から四十年近く前に結婚したのだが、昔も今も、宝石というのは本当に希少価値が高く高価な物であり中々手に入るような物ではなかった。そんなある日、母から一枚の写真を渡された。あんたも良い年や、結婚して孫を見せてくれと。写真を見てみると、背丈は小さいもののとても優しそうな男性の方だったと今でも記憶に残っている。まさか、今の私の旦那様になるとは思いもしなかった。そんな中、お見合いの話が舞い降りた。

実際お会いしてみると、会話がとても弾み、この人なら結婚してもいいなかと心が動いていった。そしてお付き合いが始まった。デートを何回か重ねていくうちに、彼からプロポーズを受けた。私はすぐに承諾した。しかし、肝心の指輪はなかった。彼のお給料では宝石の指輪どころか、普通の指輪すら買う事はできなかった。私は指輪より彼と一緒に過ごしたいという気持ちが強く、すぐに一緒に暮らし始めた。勿論、結婚式もあげていない。しかし、子宝には恵まれ三人の子供を授かった。

主人は、工場で朝から夜遅くまで働き、私達家族を養ってくれた。本当に感謝してもしきれない気持ちである。それから年数が随分と経過し、子供三人も成人した。

私の誕生日の事である。夫と子供たち三人から手紙と一つの宝石の指輪を頂いた。
夫からの手紙の内容には、今まで苦労かけてごめん。結婚当初は指輪渡せなかったけど、今贈るよという内容であった。私の目には、涙が溢れ出した。そして、子供たちの手紙には、ここまで大きくしてくれてありがとうお母さんと。確かに、宝石はお金を多く出せば買う事はできる。しかし、家族の絆や思い出というものはお金では買えないものである。私は結婚した当時の事を思いだした。あの時は、本当に必死に生きていたのだなと。そして、今日も外出する際には左手の薬指に指輪をはめて出かける私であった。